2008年11月09日

「正直な惨状だ」

小林秀雄の未公開録音「勾玉について」(27分)を収録したCD付録を目当てに、「新潮」12月号を求めました。
このCDは、「歿後四半世紀特集 小林秀雄の「響き」」の特別付録です。
特集自体は、茂木健一郎と白州信哉の対談のみ。
で、まだ聴いていないのですが、大城立裕氏の新作短編が収載されているので、まずそれを先に読みました。
「あれが久米大通りか」という作品。22頁分の掌品です。
昭和20年6月23日以後月末あたりまでの数日間の、儀間という老人と坂口という日本兵、それに後で出会い同行する儀間の知人糸数シゲという女性の、3人の逃避行を描いたもの。今日のタイトルは、この作品の中にでてくることばです。

この作品、沖縄戦末期の破壊と絶望と喪失感、そこになお残る生や金銭、柵などをたくみに描いていると見ました。
不思議なのは、主人公儀間を「お前」と称し続ける語り手の立場。これは、いったい誰なのか?

読者は、3人が摩文仁から海岸伝いに知念・佐敷とまわり、与那原から那覇にたどりつく、その行程の描写を、米軍撮影の写真を思い起こしながら読み進めることになるのですが、そのリアルさが人物の心理と密接に絡み合っているのが、作家の筆力を示していました。
ただ、日本兵坂口の存在は、小説のテーマにおいて、どこまで必然性があったのか、作家が必然と考えたわりには、存在感が薄いように感じましたが。
その結果、この作品は、沖縄戦という特殊な状況を利用しながら、沖縄人の金と柵にまつわる本音を描いているのだ、ということがわかるのですが、だとすると上記リアリズムがなおさら計算されたものであることが伺えて、興味深く思われます。
Posted by 干瀬のまれびと at 13:42│Comments(0)TrackBack(0)

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