2011年06月30日

「古琉球」とは?

昨夜、あるメーリングリストにおいて某氏から質問が発せられました。
それは、その前の別の方の書き込みにおいて使われた「古琉球」ということばについて、これはどのような内容を指しているのか?近代以前の沖縄、すなわち琉球王国時代のことを言うのか?という質問でした。

あらたまって問われると、はてさて、どうなんだろう、と悩んでしまいました。
歴史学の中では、「12世紀より始まり1609年に薩摩藩の侵入があるまで」を「古琉球」とするらしいですね。いくつかの論文に、これが周知の概念である旨書かれていました。
周知、かぁ。。。
でも、私の感覚では「琉球王国以前」なのですけどねぇ。

そもそも、このことばを世に広めた伊波普猷は、どのように考えていたのでしょう?
『古琉球』の自序には、「おもろの光で琉球の古代を照らして見た」という表現があります。その直前には「古琉球の有様がほのみえる」ともあります。
すなおに読めば、古琉球=琉球の古代、となります。
では、「古代」とはいつ?

ここで考えたいのは、折口信夫のいう「古代」。
折口は、歴史学の時代区分でいう古代とは異なる概念で、「古代」を使っています。
伊波のことばは、折口の古代の概念が示されるよりずっと以前に発せられていますが、どうも、私には、この両者は共通するイメージを「古代」にもっていたのではないか、と感じられるのです。
といっても、それを補強する材料は持ち合わせていませんから、単なる感覚なのですけどね・・・。

昨夜の質問への答を、私は次のように書きました。
「伊波はその最初の論文集のタイトルを『古琉球』とすることで、このことばとそこに籠められた思想を世の中に問いかけたのでした。それは、主に『おもろさうし』に代表される琉球の古典および古語から、王国に統一される以前の琉球の社会、思想、信仰、美意識などについて考察し、そこから琉球人のアイデンティティを分析しようということでした。
実は、「古琉球」は、王国時代の薩摩侵攻まで、という考え方もありますが、おそらく、伊波は厳密な意味での歴史区分を想定して使ったわけではないだろうと思っています。ですから、王国時代も入れて良いのですが、私が考えているのは、王国はそれ以前にできあがった琉球人アイデンティティをシステム化かつ当時の範囲でグローバル化したにすぎず、本質的には、それ以前に構築されていたと見て良いのではないか」

まちがっているかなぁ???



同じカテゴリー(日記)の記事
採点作業から
採点作業から(2023-08-16 17:14)

またひとり・・・・
またひとり・・・・(2023-08-05 11:58)

学芸員実習講義
学芸員実習講義(2023-08-04 10:53)

新聞整理
新聞整理(2023-07-30 16:06)


Posted by 干瀬のまれびと at 11:56│Comments(0)日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。